短編集です
| 花 (2005年8月16日) |
| 今年の夏は極端に降水量が少なく、鏡川の流れも弱々しい。 午後、局地的な雷雨があったが、それも焼け石に水だった。その雨水を集めてもなお、例年には決して現われない川底が顔を出している。 その小石達が作る僅かな障害物に、小さな漂流物が引っ掛っていた。 最初それを見つけたのは少年だった。 (なんだろう?) と、その漂流物に興味を持った少年は「水辺には一人で近づくな」という父親の言葉も忘れていた。ベンチで煙草を吸う父親をよそに、少年は川岸まで行き漂流物を観察した。 (・・花・・) 5メートル程離れた先に停泊するものは、まさしく花だった。よく見ると、竹で編んだ籠のようなものの上に、白い菊の花が人為的に並べられている。 (花のお船かな?) そう思った少年は、引っ掛った花が川の流れに乗るようにと、籠の手前を目掛けて石を投げ始めた。うまく石が目標地点に落ちると、その波紋で籠が岸を離れようとする。 (もう少しだ) 少年は更に大きな石を投げようとする。 その時、少年の後ろから父親の声がした。 「何をしているんだ?」 少年は驚いて振り返る。 「おとうさん、あんなところにお花のお船が引っ掛ってるんだよ。ほら!」 父親が少年の指差す先を見る。 「誰が流したんだろうね?」 少年が父に尋ねる。 「お前は今日が何の日か知っているかい?」 少年は、父親が質問に答えず、逆に質問してきたことに戸惑いを感じながらも「知らない」と返答した。 「それじゃあ」父親が続ける。 「戦争って知ってるかい?」 「うん」 少年が答える。 「今日はね、戦争が終わって60回目の8月15日なんだ。あの花はね、戦争で亡くなった人の冥福と、今生きている人の平和を願って、川に流したものなんだよ。海まで流れていって、世界中の人に思いが届くようにってね」 少年は父の話しに頷くと、さらに止まっている花を川の流れに解放してやらなければと思った。いても立ってもいられなくなった少年は、手に持った石を再び籠の手前を狙って投げ込み始めた。 「やめなさい」 父親が制止しようとする。 「でも、あのお花、海まで流さないと・・」 少年は、父親の制止を振り切って最後の石を投じた。 (これであのお花も、岸を離れるだろう) と、思った次の瞬間、石は花を並べた籠に的中した。 籠は仰向けになり、花は一部を除いて反動で河原に打ち上げられてしまった。 少年の全身から力が抜けていった。 (あのお花は、海まで流れていって・・) 涙が溢れてくる。 (世界中の人に会って・・・) 何時の間にか少年は、父親に抱きついて泣きじゃくっている。 まだ高い南国の太陽は、二人の影をいつまでも川面に写していた。 (終) |
| 薬缶 (2008年1月2日) |
| 「長く生きすぎたよ」 老女は私から視線を外すと静かに呟いた。 ストーブに乗せられたやかんが微かな音を立てながら蒸気を吐き出している。 その口調に苦痛や恨みが込められていたわけではない。それでも返事に詰まってしまったのは、言葉が余りにも空虚だったからだ。生活の苦しさや体の痛みについてならいくらでも相談に乗ることができる。だが、彼女は生き続けるための苦悩に全く触れないのだ。 「それは・・」 と言ったところで私は言葉が出なくなった。 気の利いたケアマネージャーなら「まだまだ長生きして人生楽しみましょうよ」とでも言えただろう。(もちろん無邪気に励ましているのではない。虚しい社交辞令だとわかったうえでの返答なのだ) そう思いながらも、やはり私の口からは次の言葉が出なかった。 「正直なお兄ちゃんやねえ」 老女が少し口元を緩めて再び視線を私に戻した。多分彼女の眼には困った顔をした私が映っているのだろう。 「死ぬわけにもいかんのよ」 部屋の中の張り詰めた空気が少しだけ弛緩したように感じたが、一番緩んだのは私の強張った表情だったかもしれない。 「死んだら死んだで一族が代々言われる『あの家から自殺者が出た』ゆうてね」 だから取りあえず「自分から死ぬ気はない」と彼女は続けた。 「大変ですね」 と、私は何とか取り繕い、当初の目的であるアセスメントを始めた。 厚生労働省のマニュアルどおりの質問で、老女の日常生活がおぼろげに浮かび上がってくる。 「週1回のデイサービスへの通所を考えられてはいかがでしょうか?」 私は、いくつかのパターンに照合して、彼女に必要な介護サービスを提案した。 「行ってみようかね」 彼女はあっさりと合意し、淡々と契約手続きが進んだ。 私は契約書を鞄に入れ、計画書を持って再来することを約束し席を立った。 彼女は私を玄関まで送り「また来てや」と言って頭を下げた。 玄関の引き戸が重苦しい音を立てて閉ざされると、私と老女が共有していた空間が二つに遮断され、私は屋外へと開放された。 今年の寒さは厳しく、門外に駐輪していた私の自転車は凍りつくほどに冷えていた。 (終) |
| 窓 (2006年4月6日) |
| 窓から見る景色というものをすっかり忘れていた。 私の勤務していた事務所は四方のうち三方が壁やパテーションに囲まれ、僅かな窓さえも無機質なキャビネットが覆い隠していたからだ。意味もなくただ座っているだけの男や、大声をあげる来客達を、事務所内の薄暗さをカモフラージュする大量の蛍光灯が、青白く浮かび上がらせる。澱んだ空気を挟んで、彼らの眼球もまた青白い私の姿を、無意識に脳に送りこんでいたに違いない。とにかく太陽光線の持つ「自然治癒力」が行き届かない、身体的精神的に不健康な職場環境であった。 私のそんな3年間を一変させたのは一枚の紙切れだ。「○○センター勤務を命ずる」という辞令によって、私は掃き溜めのようなビルから拾い上げられたのである。今デスクに座ってパソコンから視線を起すだけで、眩しい風景が飛びこんでくる。 「明るいなあ。照明の必要がないくらいだね」 と、来所した元同僚達も異口同音に感心していく。 「仕事のほうは、お先真っ暗だけどね」 私は冗談めかして答える。 これが挨拶代わりで、後は業務の打ち合わせやカンファレンスが始まるといった具合だ。 来客が途切れると、私の足は窓際へと進む。 今まで見えなかった景色に混じり、生活の音が聞こえてくる。道を疾走する車の音や子ども達のはしゃぎ声、建設現場の重機の音など枚挙にいとまがない。その音全てが、社会の一員として生きていくための音なのだと私は思う。 この街に生まれ、大人になり仕事をして、やがて結婚し家を建て子どもが出来る。この事務所の窓の外は、そんな日常に溢れている。 今、窓から見下ろせる通の桜並木は、春の到来を告げる役割を終えようとしている。やがて、黄緑色をした若葉が勢いを強めるころには、春も本番を迎えるだろう。 そして夏、事務所から通に出た私はその桜の厚い葉の作る影で、涼しい風を受けながら、やはり街の息吹きを感じ舗道を歩くのだろう。同じ時間、蛍光灯の下で蠢いている人々を思いながら。 |